熊本憲三[くまもとけんそう] - 広島市安芸区
熊本けんそう 24年の経験を活かして 故郷に恩返し

「トライ」市議会だより 【平成24年8月発行】 No.62

よみがえれ美しい国日本
安全・安心を政治の中心として

~郷土のお役に立たせて頂くために~

 梅雨が明け、群青色の空が広がる暑い日が続いていますが、皆様におかれましてはお元気でお過ごしのこととお喜び申し上げます。

 梅雨明け前、九州北部地方は記録的な豪雨に見舞われました。犠牲になられた方々の御霊のご冥福を心よりお祈りいたしますとともに、被害を受けられた皆様方に心からお見舞い申し上げます。

 さて、千年に一度と言われる東日本大震災から一年四カ月余りが過ぎましたが、被災した岩手県、宮城県、福島県では、未だ震災がれきの処理が進んでいません。六月末現在で、この三県の震災がれきは全体の二割程度しか処理できていません。震災がれきのうち、岩手県と宮城県で発生したものについては、県外で受け入れて処理することもできますが、処理は進んでいません。このため、国は震災がれきの放射性物質への不安を払拭するための説明をきちっと行うなど、がれき処理が進むよう責任を持って取り組まなければなりません。被災地の復興なくして我が国の再生・繁栄はありません。

 まもなく、八月六日を迎えます。原爆で犠牲になられた方々の御霊のご冥福を心からお祈りいたします。戦後六十七年が経過し、被爆者健康手帳を持つ被爆者は、全国で昨年より八千五百八十人減り、二十一万八百三十人となり、平均年齢は三月末で七十八・一歳となっています。

 戦争体験の記憶が歳月とともに失われつつありますが、現在の私たちの平和が、祖国を思い、家族を案じつつ、戦陣に散り、戦禍に倒れた多くの人たちの尊い犠牲の上に成り立っていることを、私たちは子々孫々に伝えていかなければなりません。国を守るために亡くなられた人たちの慰霊は、国家、国民の務めの大本です。

 また、私たちは、日本が国際社会から孤立し、戦火を交えることがないよう平和への決意を新たにし、私たち日本人が受け継ぎ、引き継いできた『美しい国』を未来へ引き継いでいかなければなりません。

 先週、ほとんどの学校が夏休みに入りましたが、夏休み前、広島市教育委員会は、広島市立の小・中学校や高等学校で起きた昨年度のいじめが二百十七件あったことを発表しました。いじめについては迅速かつ毅然とした対応が必要ですが、特に『事後の百策より、事前の一策』という考えが大切です。子どもたちの明るい未来を不条理に閉ざすことがないよう取り組んで参ります。

 明日、イギリスのロンドンで、夏季オリンピックが開幕します。今回のロンドンオリンピックは日本にとってオリンピック参加百年の節目の大会です。

 今回のトライでは、日本人女性で初めてオリンピック金メダリストになった兵藤秀子(平成七年にご逝去)さんのお話しをご紹介し、私たちの期待を担って参加する選手へのエールにしたいと思います。

 兵藤秀子さんは、大正三年に和歌山県に生まれ、十一歳のとき紀ノ川の水泳練習に参加し泳ぎを覚えました。十二歳のとき女子五十メートル平泳ぎで学童女子日本新記録をうち立て、以後、水泳の練習に励み、今から七十六年前の昭和十一年、二十二歳のときベルリンオリンピック女子二百メートル平泳ぎで優勝します。

 このときの心境を兵藤秀子(旧性:前畑)さんは、自伝『勇気、涙、そして愛。前畑は二度がんばりました』(ごま書房)の中で次のように話されています。

 「私は誰よりも練習してきたんだから負けるはずがない。そして、勝ち負けはともかく、自分で悔いのないレースをしようという心境になっていました。最後のターンをして、ゴールまでの五十メートルはゲネンゲル選手(ドイツ)とデッドヒートになったわけですが、私の隣で彼女が泳いでいることなど忘れていました。…(略)…私は今でも後輩たちに「他人に勝つよりも自分に勝つことのほうがむずかしい」と説いています。私は根性という言葉は嫌いですが、自分の目的を達成するための努力は必要です。それを根性と呼ぶなら、それでもかまいません。」

 最後に、兵藤秀子さんが、ベルリンオリンピック女子二百メートル平泳ぎで、一秒差で見事優勝したときのNHKのラジオ中継の一部をご紹介し、日本代表として、国民の大きな期待を担ってオリンピックに参加する選手へのエールにしたいと思います。

 「…(略)…前畑がんばれ!前畑がんばれ!がんばれ!がんばれ!あと四十、あと四十、あと四十、あと四十、前畑リード、前畑リード。…(略)…あと五メートル、あと四メートル、三メートル、二メートル、あっ、前畑リード。勝った。勝った。勝った。…(略)…前畑優勝。前畑日章旗を揚げました。前畑さんありがとう。」


(この文章は七月二十七日に作成したものです。)

広島市議会議員 熊本憲三